「ねえねえ天本さん」
 居間の床の上に新聞紙を広げ、その上に足を投げ出して座った敏生は、目の前のソファーに腰掛けている森を見上げた。
 長い足を優雅に組み、大判の洋書を読んでいた森は、本を膝の上で開いたまま、敏生を見た。
「もうできたのかい?」
「いいえ、まだです。ただ……」
 敏生は、両腕で抱え込んだオレンジ色の物体を見下ろし、首を傾げた。そう、それは、大きなカボチャだった。ふだん野菜コーナーに売られているものではなく、オレンジ色のこの時期しか出回らない外国産のかぼちゃである。
 さっきから敏生は、カボチャの中をくりぬき、ジャック・オ・ランタンを作ろうと躍起になっていた。羊人形に入った小一郎は、かぼちゃの果肉や種がかからないように、安全距離を保って敏生の作業を眺めている。
 作業を始めて三十分強。種の部分をビニール袋に詰めこむ段階である。完成にはまだまだ時間がかかりそうだった。
 敏生は、森に言われたとおり、削り取ったワタの部分をビニール袋に放り込みながら、森に訊ねた。
「種は捨てちゃうんですか? 顔を作るときにくりぬいた本体のかけらはどうします?」
 森は、洋書を閉じて頷いた。
「ああ。あまりいい種ではなかったから、炒っても使い道がなさそうだ。果肉もそうまで大きなかぼちゃだと、そのまま食ってもあまり旨くないだろうから……」
「から?」
 敏生は期待の眼差しで森を見上げる。森は苦笑して答えた。
「そうだな。パンプキンパイは昨日焼いたから、今日のおやつとデザートはあるし……。だったら、ピラフにしようか」
「ピラフ?」
「ああ。ハムの塊を大きめの角切りにして、それとタマネギと、カボチャと……それから君の好きなコーンでも入れて」
「わあ。それ、凄く美味しそう。彩りも綺麗ですよね」
 敏生は目を輝かせる。森はカボチャを指さして言った。
「ああ。たぶん旨いと思うよ。だから、早く仕上げてしまえよ。三時のお茶に、そのランタンに火を入れてテーブルに飾って、パンプキンパイを食べるんだろう? あと一時間しかないぞ」
「うわ! ホントだ! 早く、目と鼻と口作らなくちゃ」
 敏生は慌てて作業を再開する。森はそれをほほえましく見守りつつ、読みかけの本に手を伸ばした。

 一時間後。めでたく完成した、なかなか迫力のある笑顔のジャック・オ・ランタンの中に蝋燭を立てて火をつけ、森と敏生はお茶の時間を楽しんでいた。
 昨夜、森が焼いたパンプキンパイは、滑らかでいてかぼちゃのほっくりした感じが残ったフィリングが最高だった。敏生は、二きれめのパイを平らげつつ、ふと思い出したように言った。
「そういえば天本さん、前に、異世界のちっちゃな僕に会った話をしてくれたでしょう?」
 香りのいいミルクティを楽しみながら、森は意外な話題に目を見張った。
「ああ。それが?」
 敏生はにこにこして言った。
「異世界も、今日はハロウィンなのかな。そしたら、あっちの天本さんと小さな僕も、今頃ハロウィンしてるかもしれませんよね」
「……ああ、そうだな」
「そう思うと、何だかわくわくするなあ。あっちの天本さんも、こんなにおいしいパイを焼いてくれてるかな。そうしたら、向こうの僕も、僕と同じくらい幸せでしょうね」
「……向こうの敏生は幼すぎて、こんなに見事なかぼちゃの細工はできないだろう。あっちの俺より、俺のほうが幸せだな」
「天本さんってば」
 敏生ははにかんで、頬をうっすら赤らめる。その仄かな色に誘われるように、森は腰を浮かせて、敏生の柔らかな頬にキスをした……。

 しかし。
 実際のところは、異世界の森もまた、かなり幸せなのであった。
 異世界でも今日はハロウィンである。そして、小さな敏生は、お絵かき教室で画家の先生にハロウィンについてあれこれと教えてもらったらしく、一週間前からこの日をとても楽しみにしていた。
 そんなわけで、天本家はいたるところが敏生の描いたジャック・オ・ランタンやお化けたちの絵で飾られ、敏生は今日は朝から、先日森にせがんで買ってもらった「ジャック・オ・ランタンセーター」を着込み、「ジャック・オ・ランタン型バスケット」を提げて歩き回っている。バスケットは、話を聞きつけた異世界の龍村が送ってくれたもので、中にはこれまたハロウィンの包装紙に包まれたチョコレートやキャンディがぎっしり入っていたのだが、もうあらかた、森と敏生二人がかりで平らげてしまった。
 玄関先には、スーパーで敏生が「これ! これかって、おかおにするの!」と主張したために仕方なく森が購入したオレンジ色のかぼちゃが、ちょっとバランスの悪い顔でニカニカ笑っているジャック・オ・ランタンになって飾られている。
 当然、おやつの時間にも、食卓に上るのはかぼちゃのお菓子……パンプキン・プリンである。
「旨いか?」
 森に問われ、握り手が太い自分用のスプーンでプリンを口に運びながら、敏生は鳶色の髪が揺れるほどの勢いで、大きく頷いた。
「おいしー!」
「そうか。よかったな」
「うん!」
 しかし、四歳の子供には、プリンを上手に食べることはなかなかに難しい。テーブルの上にも敏生の口元にも、カラメルソースがべったりついてしまっている。敏生がプリンを食べ終わるのを見計らい、森はハンドタオルを濡らしてきて、敏生の口と手を綺麗に拭ってやった。小さな手は、カラメルソースがついていると、それ自体がまるでお菓子のように見えて、森はちょっと囓ってみたい誘惑にかられる。……むろん、そんなことを実行すれば正真正銘の変質者になってしまうので、我慢したのだが。
 おやつを食べ終えると、敏生はお気に入りのジャック・オ・ランタンのバスケットを手に取った。そのまま玄関のほうへ行くので、森は慌てて後を追う。
「おい、どこへ行くんだ?」
「あのね、あまもとさん」
 小さな敏生は、胸を張ってこう言った。
「とりにくをとりーちょ、するの」
 森の眉間に浅い縦皺が刻まれる。
「鶏肉を……何だって?」
「とりにくをとりーちょ! しらないのー?」
「……知らないも何も……」
「おえかきのせんせーが、はろうぃんのひにはこどもがするんだよっていってたよ?」
「……ハロウィンの日に子供が……鶏肉で何を……?」
 敏生は、苛々したようすで、玄関先で地団駄を踏む。
「もー! どうしてしらないの? はろうぃんのひには、こどもは『とりにくをとりーちょ』っていえばおかしをもらえるんだよー!」
「…………わかった」
 森は、眉間を抑えて呻くように言った。
「それは、『トリック・オア・トリート』だよ、敏生。少々文句が間違っている」
 小さな敏生は、玄関先で小首を傾げる。
「とりく……とりにく……とりから……?」
「……いや……今年はもうどうでもいい。来年までに、少し英語を勉強しよう」
 力無くそう言って、森は敏生の手を引き、とりあえず居間に連れ戻した。絨毯に片膝をついて、視線を四歳児と同じ高さにしてから、敏生の幼い顔を覗き込む。
「いいかい、敏生。『トリック・オア・トリート』は、アメリカで……よその国でしか通じない呪文なんだ」
「そうなの?」
「ああ。この国では、その呪文の意味を知っている人はまだまだ少ないんだ。君は、知っているかい?」
「しらない」
 敏生はふるふると首を横に振る。森は、ここぞとばかりに力を込めて言った。
「『お菓子をくれないと悪戯するぞ』って意味なんだ」
「ぼく、いたずらしないよ?」
 敏生は大まじめに言う。森は微笑して言った。
「そうだろう? だから、ここでその呪文を使っても意味がないんだ。諦めるんだな」
「じゃあ……おとなりにいって、とりにくをとりーちょ! っていっても、おかし、もらえないの?」
 敏生は、心底悲しそうな顔をする。
「残念ながらな。近所の家でそう言ったところで、不思議な顔をされるのがオチだ」
「……おかし……ほしかったなあ……」
 諭すように森に言われ、敏生はますますしょげかえる。どうやら、「魔法の呪文を唱えれば、大人たちがお菓子をくれる夢のような日」がハロウィンなのだと思いこんでいたらしい。その落胆のあまりの激しさに、森は何だか可哀想になってきた。
 仕方なく森は、敏生の柔らかな髪をくしゃくしゃと撫でてこう言った。
「俺と二人でこの家の中でやっても面白くないだろうしな。とりあえず、六時まで待て」
「ろくじ? どうしてー?」
 森は笑って答えた。
「六時になったら、早川が来る。早川は賢いから、君の呪文もきっとわかってくれるよ」
 それを聞いた途端、敏生の顔がぱあっと輝いた。つつきたくなるような丸い頬が、たちまち赤くなる。
「はやかわのおじさん、とりにくをとりーちょ、わかる? おかし、くれるかな?」
「きっとな。だからそれまでお利口にしておいで」
 森は笑いを噛み殺し、厳かな調子で言った。
「はーい」
 すっかり元気を取り戻して、敏生は全身を揺らして頷く。
 おそらく敏生は、昼寝もせず、ずっと早川が来るまで居間で待ち続けることだろう。
(……あとで、俺の部屋から携帯で早川に連絡するか)
 森は、バスケットを大事そうに抱えてソファーに座り、両足をぶらぶらさせている敏生の姿を見ながら、心の中でそう思った。
 有能な早川のことだ。事情を話せば、それらしい菓子をポケットにさりげなくしのばせてきてくれるだろう。その礼として、商談の前に、ハロウィンらしいカボチャとチキンのグラタンの夕飯をご馳走してもいい。これから小さなパンプキンパイをたくさん焼いて、デザートと早川の家への土産に持たせてやろう。
 そんな段取りをあれこれ考えつつ、森は、自分もすっかり楽しくなってしまっていることに気づいた。
「やれやれ。『トリック・オア・トリート』より、君の鶏肉なんとかという呪文のほうが、よっぽど俺には効くようだよ、敏生」
 森のそんな言葉に、小さな敏生はキョトンとした。
「そうなの?」
「ああ。……その呪文を聞くと、俺はどうやら君に美味しいお菓子を作ってやりたくなるようだ。……これからパンプキンパイを焼くが、手伝ってくれるかい?」
「わーい! おてつだいすゆー!」
 ソファーから飛び降り、自分に向かって駆けてくる小さな同居人を、森は片膝を床に突き、両腕を広げて抱き留めたのだった……。










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