
|
大きな手に優しく肩を揺すぶられて、敏生は目を覚ました。 「ん……?」 「お休みのところ恐縮だが……起きないか?」 「天本さん……?」 枕元に立っていたのは、森だった。それも、やけに厚着の。敏生は吃驚して、眠い目を擦りながら起き上がった。時計を見れば、午前三時。丑三つ時である。 「どうしたんですか、天本さん……こんな時間に、まさか、仕事?」 「まさか」 ロングコートを羽織った森は、可笑しそうに笑った。 「イベント好きの君が忘れているとは珍しいな。今夜は、獅子座流星群が見られるんだよ。ちょっと起きて、見てみないか?」 敏生の返事は聞くまでもない。 「寒いから、温かくして出ろよ」 大慌てで、パジャマの上からフリースを羽織る敏生の鳥の巣頭に、森は、手近にあったニットキャップをズボリと被せてやった。 「でも、どこで見るんですか? 庭?」 「いや。俺の部屋においで。そこから出よう」 「……出る?」 敏生は首を捻りながら、森の後について、隣室へと入った。 「え? こんなの……あったんですか!」 一歩踏み込むなり、敏生は驚きに目を丸くする。森の部屋の中央あたり、天井からハシゴが降りていたのだ。森はこともなげに頷いた。 「ああ。俺の部屋には、屋根裏があるんだ。ついておいで」 そう言うなり、森はさっさとハシゴを上っていく。 「……何年も住んでるのに、初めて気がついたよ……」 敏生は呆然としつつ、その後について、意外にしっかりしたハシゴを上った。 屋根裏は、森の書庫になっていた。古そうな本棚がいくつか置かれ、そこには様々な本が整然と置かれていた。棚に並べきれず、床に新聞紙を敷き、積み上げられた本の山もある。 屋根裏部屋の天井は、屋根の形そのままに斜めに傾斜しており、その天井の低い方の壁には小さな……「不思議の国のアリス」に出てきそうなほどではないにせよ、森なら身体を半分に折ってくぐらなくてはならないような小さな扉があった。 「ここから屋上に出られる。おいで」 森は、軋む扉を開け、彼にしてはずいぶん間抜けな格好で外へと出ていった。敏生も、ワクワクしながら、初めての屋上に出た。 「うわ、真っ暗」 「すぐに目が慣れるさ。こっちだ」 森は敏生の手を引き、空調の室外機やらアンテナやら、あれこれ障害物の多い屋上の片隅、段になったところへと連れていった。そこに、手にした毛布を広げる。 二人はそこに並んで座り、夜空を見上げた。 「町中だから少し明るいが、慣れればたくさん見られるようになるよ。ほら、あっちの空だ」 森が長い指で指したほうを、敏生は息を詰めて見上げる。やがて、驚くほど大きな流れ星が、長く尾を引いて暗い空をゆっくりと流れた。 「うわあ!」 敏生は歓声を上げる。 「あんなのが、しょっちゅう落ちてくる。……小さな星は、降るように流れているよ」 森は静かな声でそう言った。 「ほんとですね。……綺麗だなあ」 「ああ。美しいものだな。こんなに見えるのなら、どこか山中にでも旅行に行けばよかった」 森の言葉に、敏生はクスリと笑った。 「天本さんの原稿がなければ、行きたかったですね。どこかで、露天風呂に入りながら流星群を見るとか……いいなあ」 「欲張りだな、君は」 「だって……。綺麗だけど、寒いし、首が痛くなってきましたよう」 敏生は、首を振りつつ、しかし流星を見逃すまいと、一生懸命広い天球に視線を走らせている。今夜の流星群は本当に凄くて、あちこちからひっきりなしに星が流れるのだ。どこを見ていても、何かを見落とすのが、敏生には残念でならないらしい。 「寝転んで見るか」 森はふとそう言って、毛布の上にゴロリと仰向けになった。 「あ! そっか。そうすればいいんだ」 敏生も、森の横に横たわる。森が腕を枕代わりに差し伸べてくれて、ちょうど気持ちよく夜空が見上げられる体勢になった。 「これで、視界が広くなっただろう」 「ホントだ……。うわあ、頭の上から星が降ってくるみたい」 弾んだ声が、白い息を伴って、夜空に広がっていく。 しばらく黙りこくって星を見ていた二人だが、やがて森がポツリと言った。 「願いごとはしたかい?」 「あ。あんまりたくさん流れてるから、忘れてました。お願い事、しなきゃですね」 「言葉にしなくても、心の中にある願いは、伝わるような気がする」 そう言って、森はまた一つ、流星痕を残して消えていく明るい流星を見送った。 「心の中にある願い……」 敏生は、森が編んでくれたミトンを嵌めた手を、ぎゅっと自分の胸に押し当てた。 「どうした?」 怪訝そうに問いかける森の肩口に鼻先を押しつけ、敏生は満ち足りた声で言った。 「前は、こんな時、自分のことばかりお願いしてたんです。誰か愛してくれる人がほしいとか、また家族と暮らしたいとか、もっと背が伸びますようにとか」 「……ああ」 森は、腕枕をしたその手で、ニットキャップの上から敏生の頭にそっと手を置き、頷いた。そんな森の胸元を、敏生の片腕がぎゅっと抱く。 「でもね。今は天本さんがこうして傍にいてくれて、僕、凄く幸せで……。世界中の人が、笑って暮らせるようになりますように……ってお願いできるくらい、自分が幸せなんだなって思ったら、胸がいっぱいになりました」 「…………」 「星にお願いするだけじゃ駄目なんだけど、何かしなきゃいけないと思うんだけど……でも、何をしたらいいかわからないんだけど……。でも、僕は天本さんに幸せにしてもらって……だから、天本さんを幸せにできるようになりたいし、他の人たちのためにも、何かできたらいいなって思うんです」 「……君は優しいな」 森はポツリと言った。 「俺が星に願うのは、相変わらず自分のことばかりだよ」 「……それって、天本さんが幸せじゃないってことですか?」 敏生は、不安げに問いかけた。森は、微笑して首を横に振る。 「そうじゃない。俺は欲深いんだよ。……俺だって、君がここにいるこんな幸せを、想像だにしなかったのにな。もう一度、誰かを愛することができる、そんな幸福を手にしても、まだ願うことがある」 「……それは……何ですか?」 敏生はそっと訊ねる。森は少し躊躇ってから、低い声で呟いた。 「この幸せが、ずっと続くようにと……星にでも願わずにはいられないほど、俺は不安なんだろうな。あまりに大きな幸せを手にしたから、それを失うのが怖くてたまらないんだ」 「天本さん……」 「君がいつも、俺の傍で笑っていてくれるようにと、さっきからずっとそう願ってた」 「星に何か願わなくても……」 敏生は、嬉しそうに笑って、ちょっと身を起こした。そして、上から森の顔を覗き込み、囁いた。 「僕はずっとここにいます。……天本さんがいれば、僕はずーっと笑っていられますよ」 「敏生……」 「天本さん、大好き」 背中を柔らかく抱かれ、引き寄せられる。やがて重なる互いの唇の冷たさに、敏生はそっと目を閉じた。 そんな二人の真上から、数限りなく、星々は降り続けた…………。 |