重い。
何だか、身体の右側から、ぎゅうぎゅうと押されているような気がする。
そして薪が爆ぜる小さな音がして、ついに僕、龍村泰彦は目を覚ました。唐突だが、不快ではない目覚めだ。
暖かな室内。視線を巡らせば、暖炉ではまだ薪が穏やかに燃えていた。
テレビから聞こえてくるのは、蛍の光。
おやおや、紅白歌合戦も終幕だ。赤組白組、どっちが勝ったのか見損ねてしまった。
紅白を見るのは久しぶりだったが、いつも「蛍の光」でタクトを振っていた爺さんの姿が見えない。もう死んだのかもしれない。
それにしても、いつのまに寝入ってしまったのだろう。
確か、腹がはちきれるほど天本の手料理を食って、三人一緒に紅白を見始めて……。美川憲一は見たが、小林幸子を見た覚えがない。どうやら、その辺りで眠り込んでしまったらしい。仰け反って寝ていたせいで、首の後ろが鈍く痛む。
右腕にずっしりかかる重みは……。
僕は、ゆっくりと首を右に巡らせた。僕の腕に手加減なく体重を預け、静かな寝息を立てているのは……そう、琴平君だ。
確かに並んで紅白を見ていたと思うのだが……はてさて、どちらが先に寝入ったやら。とにかく、彼は幸せそうな笑みを唇に残し、僕の腕にその柔らかな頬を押しつけている。
そして……。
僕を驚かせたのは、琴平君の膝に頭を預け、天本までがそこで眠りこけていたことだった。
「……おいおい」
僕の唇から、苦笑と共にそんな呟きが漏れる。
確かに、三人掛けても余りあるほど大きなソファーだが、それでも天本の膝から下はダラリと肘置きから床へ垂れている。
天本の奴、まだエプロンをつけたままだった。僕の見ているところでは、けっして琴平君に膝枕などしてもらわない天本のことだ。きっとこれは、僕が一番先に寝てしまったに違いない。
そして、琴平君が天本を膝枕に誘ったのだろう。天本も、ちょっとのつもりが、おせち作りの疲れが出て、つい……ということで、この状態になったとみえる。
琴平君の手は天本の胸の上に置かれ、その手を、天本の骨張った手が柔らかく握り込んでいる。
それを見ていたら、何だか泣きたいような気持ちになった。
この十年の間に、僕と天本の上には、本当に色々なつらいことが降りかかった。
天本がどんな思いでこの年月を生き抜いてきたのか……残念ながら、僕には語る資格がない。
一度は死を望んだこいつを無理矢理生きさせたくせに、僕はこいつのもとを去った。それは僕の身勝手であり自業自得であり……いや、もう言うまい。
有馬で偶然再会したときも、もし天本の横に琴平君がいなければ、僕たちはこうして再び共に年越しを祝うような関係には戻れなかっただろう。
本当に、琴平君には感謝してもしきれない。僕と天本の間にいつも自然に挟まって、一度は埋められないと思われた心の溝を、少しずつ少しずつ埋めてくれた。
そして……。僕にはなれなかった、天本の家族……いや、かけがえのない片翼になってくれた。
もう誰も愛さないと誓っていた天本の頑なな心を開かせたのは、琴平君だけが使える魔法に違いない。
僕が今、こうして天本の穏やかな寝顔を見ていられるのは、すべて琴平君のおかげなのだ。
「……ありがとう」
囁いて、そっと琴平君のふっくらした頬を撫でてみる。
「ん……」
ざらついた指の感触に、琴平君は薄目を開いた。そして、ゆっくりと首を巡らし、僕を見て柔らかく微笑した。
「寝ちゃいました……」
「僕もだよ。天本まで寝てやがるから、驚いたぜ」
ヒソヒソ声で囁くと、琴平君はまだ僕にもたれたままで、クスッと笑った。
「龍村さんが寝てるの見てたら、どっと疲れが出たって。せっかくだから、三人くっついてましょうよって、僕が誘ったんです」
「なるほど。見ろよ。ぐっすり寝てる」
「……ですね。あ、もう行く年来る年なんだ……」
琴平君は、天本の無防備な寝顔からテレビに視線を移し、目を輝かせた。
画面では、雪に包まれた北国の小さな寺でつかれる除夜の鐘が、厳かに鳴り響いている。
僕も琴平君も、口を噤んでしばし鐘の音に耳を傾ける。
やがてアナウンサーが、さして嬉しくもなさそうに告げた。新年です。
琴平君は、ぺこりと頭を下げて、とびきりの笑顔になった。
「あけましておめでとうございます、龍村先生」
「おう、おめでとう。今年もよろしくな」
僕も答えて、まだ眠ったままの天本の額をちょんとつついた。
「お前もおめでとうだ、天本」
それでも天本は低く唸っただけで、目を覚まさない。よほど疲れているのだろう。
「ぐっすり寝てる。……おめでとうございます、天本さん」
琴平君も、身を屈めて小さな声で天本に囁く。
「やれやれ、天本が目を覚ますまで、年越しそばはお預けだな」
「あ、ホントですね」
僕たちは顔を見合わせてクスクス笑った。
悪くない年明けだ、と僕は思った。
親友の穏やかな寝顔を見ながら、暖炉の傍で、弟分と笑みを交わし合う。
この十年過ごしてきた、ひとりぼっちの新年……そのたびに、それが自分に与えられた罰なのだと言い聞かせていた。それも、もう終わりにしていいのだ。
傍らにいる天使が、僕の罪を許してくれたのだから。
もう幸せになってもいいのだと、その鳶色の大きな瞳で教えてくれたのだから。
「龍村先生?」
何だか本当に泣きそうになっていたら、琴平君が心配そうに僕の顔を覗き込んできた。
僕は何も言わず、琴平君の肩を抱き寄せる。ことんと小さな頭を僕の肩に預けた琴平君は、やがて、独り言のような小さな声で囁いた。
「あのね。……きっと僕も、龍村先生と同じ気持ちですよ。……幸せすぎて、泣きそう」
涙で湿った声だった。
僕は、琴平君の柔らかい髪を撫で、眠り続ける天本の寝顔を見つめ……そして言った。
「天本が起きたら、蕎麦食って、初詣に行こうな。……小一郎も連れて」
僕らの目の前で、テーブルに座っていた羊人形が、音もなく……こてん、と転んだ。
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